No.431 僕のポケモンの思い出 前編
2月27日でポケモンが発売されて、20年が経ちます。20年と言われても実感が無いですが、ピカチュウやイーブイがもう20年前のキャラだと思うと、何だか観念深いものがあります。 備忘録を兼ねて、僕のポケモン史をここに書き綴っていきます。
★第三世代 ルビー・サファイア (2002-2006)
僕が本格的にポケモンを始めたのは、2002年に発売されたポケットモンスタールビー・サファイア。スーパーマリオアドバンス3と共にルビーを中古で購入してもらい、(当たり前ですが)データを消去してプレイし始めました。 因みに消す前のデータは確か、男主人公でバッジ7個で止まってた。何でそこで止めたし。 最初のポケモンはアチャモを選びました。 アチャモを選んだのはそれ以前に赤を少しプレイしており、その際最初のポケモンにヒトカゲを選んでいたので、同じほのおタイプで行こう、と思った為です。 ルビーを始めて間もなくプラスルとマイナンが好きになり、友達とプラマイ愛を語ったり、プラスルをLv.80まで育て上げたり、更には後述するコンテストでマスターランクまで優勝させたりしてました。 殿堂入り後はやる事が無くなりポケモンコンテストを攻略していました。が、何度やってもマスターランクでは優勝できず、イライラでゲーム機を放り投げた事も・・・。勿論破壊する程じゃないけど。 2003年秋頃になって、突如ルビーのカートリッジ(古い言い方では"カセット")を紛失。次のファイアレッドを購入するまで暫くポケモンから離れる事に・・・。
2004年に発売された赤緑のリメイク作品、ファイアレッド・リーフグリーンではファイアレッドを購入し、最初のポケモンはゼニガメを選択。これ以降、最初の三匹はいつもみずタイプを選択しています。弱点が少ない、というのが理由です。逆に言うと理由はこれしかないw ルビー・サファイアにあったバトルタワーやコンテストの様な、やり込み要素が全然無いのは少しがっかりでしたが、殿堂入り後もポケモンの育成に勤しみました。まぁ個体値とかは当時知らなかったので、ポケモンリーグに行ってただレベルを上げるだけだったんだけど・・・。 ファイアレッドでプレイ時間は300時間程にまで到達。 因みにファイアレッドはその後パールが発売された際にライコウ/エンテイ/スイクンを捕まえる為、データを消去して3回最初からプレイしています。
同じく2004年に発売された、ルビー・サファイアのマイナーチェンジ版であるエメラルドでは、ミズゴロウを選択。しかし、ヌマクローに進化させるとじめんタイプが付いてしまう為、ライバルとの対戦に酷く苦戦したのはいい思い出です。いきなり現れんなし。
エメラルドでは、ルビーではできなかった全コンテストでのマスターランク優勝を達成しました。
更にはエメラルドで初登場したバトルフロンティアにも熱中し、実質ラグラージ一匹だけでバトルタワーとバトルド-ム!!バトルドーム、バトルチューブ、バトルピラミッドを只管攻略していました。
(実質というのは、当時の僕の手持ちポケモンでラグラージだけがLv.100で、次いでレベルの高いボーマンダはLv.70だった為、ラグラージでしかまともに相手と戦えなかった。Lv50だけのパーティなんて作成できる気がしなかったし)。
まぁ、バトルファクトリー、バトルチューブの銀シンボルしか獲得出来ないくらいの実力でしたけど。
が、ある日、バトルファクトリーに挑戦するためにレポートを書いていたら突如、レポートの書き込みに失敗。修復が始まるもそれも失敗し、データが吹っ飛びました。当時の僕はあまりにいきなり過ぎて、呆然としてました。
しかしデータが消えてもめげずに最初からプレイし直し、ほぼデータが消える前と同程度の状態(バトルフロンティアとか手持ちとか)まで戻す事が出来ました。
・・・っていう思い出もあります。
データが消える前のデータではプレイ時間約300時間、データが消えた後のデータでは約100時間くらいだった記憶があります。
あと、2005年に発売されたポケモン不思議のダンジョン青の救助隊・赤の救助隊もやってたなー。 主人公がコダックだったのは解せなかったので、クリア後はリーダーをヒトカゲに変えてプレイしていました。きよらかなもりとしあわせのとう、いんせきのどうくつ以外は全て制覇済み。 ただ、青赤は99Fダンジョンがやたら多く、最後まで到達するのが結構めんどくさかったです。しかもダンジョンに入る前に強制的にセーブされるという・・・。 どうでもいいけど壁を掘るのがとても楽しかった。
それと、ポケモンレンジャーもやってた。1作目だけだけど、かなり難しかったと思います、あれ。特にボーマンダとリザードン、ハガネール、バンギラスは挫折しかける程難しかった。小6の時にやったヨッシーアイランドDSとはどっちの方が難しいんだしw
因みにアニポケは第三世代では全然見ていません。
★第四世代 ダイヤモンド・パール (2006-2010)
ダイヤモンド・パールの情報は発売前から僕の小学校でも話題となり、僕も早くプレイしてみたい、とワクワクしていました。
が、発売後暫くは近所のゲームショップに在庫が一切無く、隣町に行っても、その隣町に行っても、在庫が無いという状況で、周りが既にやっている中僕はもどかしい思いをしていました。
発売から一ヵ月後、「都内にならあるかもしれない」と、家族で当時開業したてのつくばエクスプレス線に乗り、秋葉原のこれまた開店したてのヨォドォバァシィヨドバシカメラに行きました。
そして漸く買えたのが、パールです。本当はダイヤモンドが欲しかったけど、在庫が無かったですよね。ダイヤモンドを持ってる人が羨ましかったのは、言うまでもありません。
最初のポケモンはポッチャマを選択。
これまでと同様殿堂入りまで難なく進め、殿堂入り後はバトルタワーとコンテストの攻略に専念。その後ちかつうろにド嵌りし、秘密基地を作ったり化石掘りをしたりとかをずーっとしていました。今思うと、何がしたかったんだろうw
パールでプレイ時間は遂にカンスト(999:99)を記録。ポケモンのプレイ時間がカンストしたのはこれが唯一です。
2008年にダイヤモンド・パールのマイナーチェンジ版、プラチナが発売。プラチナ以降は自ら店へ赴き予約し、購入するようになりました。中学生になったから仕方ない・・・のか? プラチナではDP同様ポッチャマを選択。そして購入翌日には殿堂入り。因みにこれ以降、購入当日はオールして、購入翌日には殿堂入りさせるのが定番と化す。 殿堂入り後はエメラルドでも登場したバトルフロンティアに没頭。エメラルドの時とは異なり、漸くまともなパーティで参戦できるようになったので、ある程度進める様になっていました。特にバトルルーレットは面白かった。 が、全金プリントの獲得は最後まで達成できず。また、プレイ時間はパールに比べると遠く及ばず200時間程度。
2009年に金銀のリメイクであるハートゴールド・ソウルシルバーが発売。 僕はソウルシルバーを購入し、ワニノコを選びました(何でソウルシルバーにしたかは覚えてない)。 今作で「いいね!」と思った機能が連れ歩き機能。 というか、「何で今まで無かったの?」と思ったくらいです、この機能。が、当時はメイドイン俺に熱中していた為、プレイ時間はプラチナと同じく200時間程。バトルフロンティアはめんどくさくて、やってすらいません。 それとポケウォーカーは購入後、程無くして誤って洗濯してしまい、お亡くなりになられました。
アニポケを見始めたのはこの第四世代(ダイヤモンド&パール)から。80話から最終回までは、ほぼ欠かさず見ていました。見逃した回は時差ネットが行われている静岡県で、ワンセグでわざわざ見たこともあるくらい。まぁ、たまたま見れただけなんだけど・・・。
更にはポケモン映画を一人で見に行ったり、ポケセンの訪問もし始めたりと、ゲーム以外の事へも感心が向くようになったのも第四世代からです。
どういう訳かアニポケのヒカリ(上の画像のキャラクター)が好きになってしまい、一時期メイドイン俺でヒカリの絵を何枚も描いていました。尚ほぼ同時期にシェイミやグレイシアにも愛が芽生えるが、それとは比べ物にならない程。 そういえば、中学校にヒカリと同じヘアスタイルの子がいたなー。 2011年になってからはチルノが好きになった影響で、ヒカリ愛は急速に冷めました。 自分って青いキャラが好きになるのかな。
(次回に続く)